この記事でわかること
怒るのをやめると
- 心が穏やかに過ごすことができる
- 子どもがのびのびと行動できるようになる
- 怒らなくても子どもは成長することを理解できる
怒る指導をやめたほうがいい理由

教育現場では、怒って指導をすることがとても多いように感じます。怒ることは確かに必要な場面があります。しかし多くのことで怒らなくても大丈夫です。怒ることで自分は感情的になり、周りが見えなくなります。また生徒は「恐怖」や「面倒くさい」と感じます。そして生徒の行動の目的が怒られないように行動することに変化してしまいます。これは教育としてはあまり良くありません。更に、先生の頭の中では「このことで怒ったから、次に誰かが同じことをしたら怒らなくてはいけない」という考えを持って指導をしていかなくてはいけなくなります。もし、同じ基準で指導ができなければ、生徒から「なぜ怒らないのですか?」と不信感を抱かれます。悪循環です。怒ることは、先生が短期間で生徒を思うように動かしたいという自己中心的な考えではないでしょうか?長期的な視点を持つと、話を聞いてあげ、生徒の考えを元にして対話していくことが大事ではないかと思います。「怒られない」と生徒が感じ、心理的に安全だと思えばのびのびと自分で考えて行動してくれます。時には失敗することもありますがその時は対話すれば大丈夫。ちゃんとわかってくれます。そして先生側が考えもしない素晴らしい行動をしてくれるときがあります。それが生徒の自信となり子どもたちがどんどん成長していきます。ぜひそれを感じてみませんか?
私の体験:怒って指導していた頃
私は以前は怒って指導することが当たり前でした。そのような指導法になったのは、周りの先生がそのようにしていたからです。特に学校で力がある先生ほど威圧的で怒って指導をするような傾向がありました。その指導に少し憧れを持っていたように思います。私は真似をしながら、どのように怒ったら生徒がビシッとして行動するようになるかを考えながら教師として取り組んでいきました。しかし、いつも私の中にはモヤモヤが溜まっていました。「どの基準で怒ればいいのか」「自分の雰囲気で怖いと思われるようにしなくては」など色々と無駄なことをたくさん考えながら、そして生徒たちと色々と駆け引きをしなくてはなりませんでした。そのため生徒とは良い関係が築けていたとは言い難く、とても嫌な毎日を過ごしていました。でもこれが「良い先生になるための方法」だと思い込んでいたので取り組んでいきました。
怒らない指導に変わった二つのキッカケ
ここで、私の中で変わるキッカケがありました。
怒って指導をしているとき、私はずっと息苦しさと違和感を抱えていました。確かに、怒れば相手はある程度こちらの言うことを聞くようになります。けれどそのとき、子どもたちの目的が「上達したい」「成長したい」ではなく、「怒られないようにする」へとすり替わっていくのを感じたのです。
それに、怒るというのは、相手にとっては嫌なことです。自分が嫌なことをされた人間は、他の誰かが同じことをしたとき、その人も同じ罰を受けるべきだと考えてしまう。私自身その感覚に飲み込まれ、ミスや忘れ物をした子に罰を与えてしまう。すると次に同じミスをした子へどう対応するか、永遠に答えを出し続けなければならなくなります。どの程度の罰が妥当なのか——気づけば、子どもの成長を願う気持ちよりも、罰をどう運用するかが私の中で大きな割合を占めるようになっていました。指導の楽しさが、少しずつ薄れていたのです。
いま振り返ると、あの頃の私にとって、指導者とは絶対的な存在でした。自分が出した指示には、必ず従わせる。威圧的な態度をとっていたので、子どもたちのほうから私に話しかけてくることは難しかったと思いますし、まして意見をするなんて、相当なハードルがあったはずです。だから、対話の量はとても少なかった。
転機になったのは、ある時期に少しだけ「余白」ができたことでした。立ち止まっていろいろと考える時間が生まれ、本を読んだり、さまざまな実践に触れたりする中で、目が開かれていきました。たとえば、子どもの主体性を育てて成果を上げた他の現場の事例。厳しく怒り、長く負荷の高い指導をすることだけが、子どもを伸ばす方法ではない——そう気づいたのです。「楽しさやワクワクこそが人を動かす」という考え方にも、強く心を惹かれました。
そこから、私の立場そのものが大きく変わりました。絶対的な権力を持つ指導者ではなく、どちらかと言えば「提案者」でありたいと思うようになったのです。最終的に決めて行動するのは、子ども自身。私は大枠の道筋を整え、「こういう選択肢も、こういう選択肢もあるよ」ときちんと対話して伝える。その中から、自分に合うもの、いまの自分にとってベストだと思えるものを、本人が選ぶ。そんなスタンスに変えていきました。
だから、あえてこちらが内容を決めず、子どもたちが自分で考えて取り組む時間も、ときどき設けました。求められれば「こうしてみるといいんじゃない?」と提案はします。子どものほうから「どうすればもっと成長できると思いますか?」と尋ねてくれることもあって、そこから一緒に考える。でも基本は、自分で選んで、自分で取り組む。自分で考えること自体が、主体性のいちばん大事な芽だと思っていたからです。
すると、子どもたちは限られた条件の中でも、自分たちで目標を立て、振り返り、何が必要かを考えて動くようになっていきました。長い時間をかけずとも、目的意識を持った密度の高い取り組みができる。主体性をどう引き出すか——そこに自分の価値観を重ねたことが、怒らない指導へとつながっていったのだと思います。
そしてもう一つ、決定的だったのが、とても配慮がいる生徒たちと深く関わるようになったことです。さまざまな苦手を抱え、失敗もたくさんし、時に周りから不当な扱いを受けているような子どもたちと、たくさん出会いました。そんな子どもたちに対して、怒って指導しても全く意味がないと痛感しました。だから毎日コツコツと対話しながら、失敗や挑戦を通して、その子のペースで苦手と向き合っていきました。「嫌だ」と言うことを無理強いはせず、本人の気持ちが整うまで待つ。感情が高ぶって暴れてしまう子にも、こちらが落ち着いて、その気持ちを受け止めながら関わる。そんな日々でした。
この二つのキッカケが、私の指導観をどう根っこから変えていったのか——その経緯の全体を、一つの記事にまとめています。
▶ 生徒との関係に悩む先生方、僕が「怒る指導」を手放すまでの話をさせてください
怒らない指導で見えてきたもの

この2つのキッカケから私の教師人生から「怒る」ということがほぼなくなりました。すると、私の中のもやもやした気持ちもなくなり、怒らない指導が私自身にマッチしていると強く感じました。実際、怒らないで指導していくと子どもたちが楽しそうに、でも一生懸命に取り組むことが多くなります。ただし、教師側の工夫が必要ではあります。ある日の部活動で連絡無しで集合時間に遅れてきた生徒がいました。理由を聞くと、「寝坊しました」と言いました。こんな生徒にどのように対応されますか?以前の私なら、怒鳴ってから罰として掃除をさせていたと思います。しかし、そのときは「わかった、次からは気をつけよう。ただ、できれば連絡をしてほしい。先生としては心配するから。よろしく!」というような感じで対応しました。それからも遅れることは時々ありましたが、連絡を入れてくれることがほとんどでした。遅れてきた時点で、誰もが申し訳ない気持ちで心がいっぱいになり、次から気をつけようと思っているはずです。だから、子どもは自分で行動の改善に取り組みます。さらに、その先に待っている活動がワクワクするものであるならば、より頑張ろうとします。その他のことでも口出しする機会を減らしていきました。先生は何かと教えたくなるものだと思います。私も色々と指示を出したり、細かく教えたいと感じていましたが、子どもたちが自分たちで主体的にやろうと思っているときには子どもたちに考えさせ、質問されたら答えるくらいのスタンスでいいのかなと感じます。自己満足が大切なのではなく、1番の目的は子どもの成長だと捉えています。まだまだ私自身の学ばなければいけないことがたくさんあるので、子どもの成長のためには何が有効なのかを学び続けてたいと思います。
まとめ:怒らずに対話しながら成長を見守る
これを読んでくださった方々、ぜひ怒る指導をやめてみませんか?怒る気持ちの裏側に、子どもを思い通りに動かしたいという気持ちがありませんか?子どもも1人の人間です。対話しながら、成長を見守っていきませんか?そうすることで自分自身もきっと穏やかな気持で過ごせるようになります。試してみてください。


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