職場の飲み会を断れない先生方、僕が断ったあとに「何が起きたか」をお話しさせてください

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「案内が回ってきた瞬間から、なんだか気が重い」。職場の飲み会に、そんな感覚を持ったことのある先生は、きっと少なくないと思います。

行きたいわけではない。でも、断ったら何を言われるだろう。理由を聞かれたら、どう答えればいいんだろう。そう考えているうちに、気づけば「参加」に丸をつけている——かつての僕が、まさにそうでした。

この記事は、そんな僕が初めて職場の飲み会を断ったとき、そのあとに実際に何が起きたのか、という話です。断り方のテクニックの話ではありません。「断ったら、何が起きるのか」。頭の中の恐れと、現実に起きたこと。その二つを、正直に並べてみたいのです。

この記事でわかること

  • 飲み会を断れないとき、頭の中で何が起きているのか
  • 僕が初めて断ったあと、実際に起きたことと、起きなかったこと
  • 「断る」が、自分の時間とお金と心をどう変えていくのか

引き受けた瞬間から、飲み会は始まっている

飲み会の出席確認の用紙を前に、気が重い表情で机に向かう先生のイラスト

飲み会のつらさは、当日だけではありません。むしろ当日より前が長いのです。

案内が回ってきて、「参加」に丸をつけたその瞬間から、飲み会は始まります。数週間先の予定なのに、頭の片隅にずっと居座り続ける。「ああ、あの日があるんだった」。ふとした瞬間に思い出しては、少し気が重くなる。

当日は当日で、大変です。業務が終わるのは夕方5時ごろ。開始は7時。参加される先生方は、バタバタと仕事を切り上げて「じゃあ、お先に」と急いで出ていかれます。会場までの移動、数時間の気疲れ、帰り道。そして翌日、「昨日は無駄な時間を過ごしたな」という、あの感覚。

お金も出ていきます。行きたくなかった会のために、数週間分の気の重さと、当日の時間と体力と、財布の中身を差し出している。冷静に書き出してみると、ずいぶん高い買い物です。

でも当時の僕は、断れませんでした。理由は、恐かったからです。断ったら角が立つんじゃないか。「なんで来ないの」と聞かれたらどうしよう。うまい言い訳を用意しなきゃいけないんじゃないか。——頭の中は、そんな心配でいっぱいでした。

初めて断った日——「すみません、その日は行けないんです」

そんな僕が、あるとき初めて、飲み会を断りました。

言った言葉は、これだけです。

「すみません、その日は行けないんです」

理由は、つけませんでした。嘘の用事をでっち上げることも、長い言い訳を用意することもしませんでした。ただ、行けないとだけ伝えました。

正直に言うと、言う前は不安でした。罪悪感もありました。「理由を聞かれたら、なんて答えよう」と、頭の中で何度もシミュレーションしていました。

断ったあとに起きたこと:何も、起きませんでした

それで、何が起きたか。

何も、起きませんでした。

追及されることも、「なんで行かないの」と聞かれることも、ありませんでした。翌日の職員室も、いつも通りでした。気まずさも、陰口も、僕の知る限り、何一つ。

考えてみれば、当たり前かもしれません。自分が誰かに断られたときのことを想像してみてください。「そうですか、残念です」で終わりませんか。相手を問い詰めたり、責めたりするでしょうか。——しないと思うのです。みんな、自分のことで忙しい。他人の不参加を、いつまでも気にしている人は、ほとんどいません。

僕たちが恐れていた「断ったあとの何か」は、頭の中にしか存在しませんでした。

頭の中の恐れと実際に起きたことを左右で対比した図

起きたのは、良いことばかりでした

何も起きなかった、だけではありません。実際には、良いことばかりが起きました。

まず、頭が軽くなりました。断ったその日から、数週間先の飲み会について、もう考えなくていいのです。頭の片隅に居座っていた重しが消えた、あのすっきりした感覚は、今でも覚えています。

お金は、一円も出ていきません。

そして当日。夕方5時、参加される先生方がバタバタと出ていくのを横目に、僕は焦ることなく、自分のリズムで仕事を終えて帰りました。行かなきゃいけないという焦りも、嫌だなという気持ちもない、ただの穏やかな夕方でした。

その夜は、飲み会に使うはずだった時間と体力を、自分にとって必要なことに使えました。移動も、気疲れも、ゼロ。差し出すはずだった時間・お金・注意力が、まるごと手元に戻ってきたのです。

夕暮れの職員室で、穏やかな表情で帰り支度をする先生のイラスト

飲み会が悪いという話ではありません

誤解のないように書いておきたいのですが、僕は「飲み会に行くのは悪だ」と言いたいわけではありません。

僕自身、すべての飲み会を断っているわけではないのです。行きたい会には行きます。親しい人たちと少人数で集まる会は、今も楽しみにしています。

断っているのは、「自分の価値観に照らして、必要ないと判断した会」だけです。大人数で、気を使い続けて、話もあまり深まらないだろうな——そうイメージのつく会については、きっぱり断る。それだけのことです。

基準は、世間の常識でも、職場の空気でもなく、自分の価値観。行くか行かないかを、自分で選ぶ。飲み会は、その練習台として、実はちょうどいい大きさなのだと思います。

もし、責める人がいたら

「でも、断ったら責めてくる人がいるかもしれない」。そう思う方も、いるかもしれません。

僕は、こう考えるようにしています。もし断ったことを執拗に追及したり、責めたりする人がいたら——その人とは、少し距離を置いたほうがいい。断られたくらいで人を責める関わり方は、僕は健全だとは思えないからです。

つまり、断ることは、リトマス試験紙にもなるのです。何も起きなければ、それが普通の職場。もし何かが起きたら、それは「距離を考えるべき相手」が可視化されただけ。どちらに転んでも、自分にとっては前進です。

まとめ:一番小さな「すみません」から

初めての「断る」は、恐いものです。僕もそうでした。

でも、僕の場合、恐れていたことは何一つ起きず、起きたのは良いことばかりでした。そして一度断れると、二度目はもっと楽になります。小さな「断る」を重ねるうちに、僕は少しずつ、仕事のことも、時間の使い方も、「自分で選ぶ」ことができるようになっていきました。

先生の毎日は、断らなければ、いくらでも埋まっていきます。その中で自分の時間を取り戻す最初の一歩は、意外と、職場の飲み会くらいの大きさなのかもしれません。

もし今、案内の紙を前に気が重くなっているなら。一番小さな「すみません、その日は行けないんです」から、始めてみませんか?

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