この記事でわかること
- 手を止められないのは「時間がない」からだけではない、ということ
- 「勤務時間=働き続ける時間」という捉え方を変えてみた僕の話
- 3分あればできる、いちばん小さな余白のつくり方
職員室で、ふと手が空いた瞬間
職員室で、ふと手が空いた瞬間。本でも読もうかと思って——やめたこと、ありませんか。
時間がないわけではないんです。周りの先生方が、机に向かって手を動かしている。慌ただしく動き回っている。その中で自分だけゆっくりするのが、どうにも申し訳ない。結局、急ぎでもない仕事を手に取ってしまう。
僕には、その感覚がよくわかります。今でも、周りが忙しそうな日は、本を開けないことがあります。
以前の僕:止まれなかった
7年前より前の僕は、その最たるものでした。
朝は5時台から動き出し、早く出勤して教材の準備。子どもたちを迎え、ギリギリで教室へ走る。1日に空き時間が一つあるかないか。放課後は部活で夜まで、それから残りの仕事。夜10時まで働く日も珍しくありませんでした。
休憩らしい休憩は、覚えていません。みんなが働いている中で自分だけ休むことはできませんでしたし、「休むと周りの人に負担がかかる」と言われたこともあります。忙しくしていれば、少なくとも責められない——どこかでそう思っていた気がします。
唯一の「休み」は、空き時間に専門教室でこっそり眠ることでした。生活リズムは崩れ、食事は遅く、運動もしない。体が持たなかったから、倒れるように休んでいた。あれは休憩を選んだのではなく、限界に休ませられていたんだな、と今は思います。
そして、それだけ働いて良い仕事ができていたかというと——正直、まったくできていませんでした。何をやっていたんだろう、という感覚さえあります。
気づき:勤務時間は、何のための時間か
働き方を見直す中で、僕は一つの捉え方を疑うようになりました。
勤務時間とは、働き続ける時間である——僕はずっと、そう思い込んでいました。だから手を止めることが、約束を破ることのように感じられた。周りの空気に合わせて、忙しくあり続けようとした。
でも、そもそも僕たちがあの時間にいる目的は、働き続けることそのものではないはずです。良い授業をする。落ち着いて子どもと向き合う。そのために最善を尽くす時間——だとしたら、頭が働かない状態で机に向かい続けるより、一度切って整えてから戻ったほうがいい場面が、確かにあります。
余白を取ることも、最善の中に含まれている。そう捉え直せたとき、僕はようやく、後ろめたさなしに手を止められるようになりました。休むことは、仕事から抜けることではなく、仕事の一部だったんです。

今の僕:まだできるところで、あえて切る
今の僕がしているのは、まだできる、というところで、あえて切ることです。
給食のない日は、昼に職場を出ます。近くの緑の多い公園まで歩いて、一人でゆっくりお昼を食べる。誰にも気を使わず、スイッチを完全にオフにできる時間です。食べ終わったら10分ほど歩く。午後のことをぼんやり考えたり、何も考えなかったり。血が巡って、頭が動き出す感じがします。そうして整えてから戻ると、「よし、午後もやろう」という状態が作れている感覚があります。

「その時間にパソコンに向かったほうが進むのでは?」と思う方もいると思います。職場でも、そうされている先生がほとんどでした。その気持ちは、僕にもよくわかります。ただ、空き時間を全部仕事に投入していた頃の自分を思い出すと、はかどらないし、良いものもできていませんでした。余白を取ったほうが結果的に質もスピードも上がる——試してみて、体感としてそう感じています。
いちばん小さな形
とはいえ、昼に外へ出られる日ばかりではありません。大事なのは場所や長さより、「意図的に切る」という設計のほうだと感じています。だから、もっと小さな形でも同じことをしています。
一つは、席を立つこと。作業の途中で職員室を出て、外の景色が見える場所へ行く。少し体を動かして、ぼんやり考える。座りっぱなしだと血の巡りも思考も鈍っていく感じがするので、これだけで集中力が戻ってくる感覚があります。周りが忙しそうで自分が力になれそうにないときも、空気に逆らうのではなく、そっと空気の外に出る。そのほうがお互いに自然だと感じています。
もう一つ、いちばん小さくて、僕にはいちばん効いているもの。その場に、3〜4分前に行って待つ。
ギリギリまで仕事をしてから向かう先生も多いと思いますし、その気持ちもよくわかります。ただ僕は、急に対応が始まる状態がどうしても苦手でした。少し早く行って、ぼんやり待つ。この後どうしようかと頭を整理したり、周りを見渡して何かに気づいたり。たった3分ですが、余裕のある自分の状態でその時間を迎えられる。そうすると焦りが減って、うまくいかない場面にも落ち着いて向き合えるようになったと感じています。
おわりに:次に「まだできる」と思ったとき、あえて一度、切り上げてみませんか?
余白をつくるのは、逃げることではないと思っています。限界が来る前に、自分で設計しておくこと。そうすることで、より満足度の高い仕事ができたり、心に余裕のある自分でいられたりするのではないかなと感じています。
ちなみに年休も、今は割り切って、取るようにしています。この話は、また別の機会に書きますね。
次に「まだできる」と思ったとき、あえて一度、切り上げてみませんか?

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