「今年の研究授業、どなたかお願いできませんか」
会議でこの言葉が出た瞬間、職員室の空気が少し重くなる。目が合わないように資料を見つめる。誰かが手を挙げるのを、みんなが待っている——。
こんな場面、心当たりはありませんか?

そして最後は、若手の先生に白羽の矢が立ったり、「テーマ的に主任の先生が…」と、それらしい理由で誰かが引き受けることになったりします。半分強制的に決まった仕事は、引き受けた人も前向きになれないし、周りからの支援も薄くなりがちです。
僕は最近、こうした場面で意識していることがあります。
割り当てられる前に、自分から選ぶことです。
「わざわざ大変な仕事に手を挙げるなんて」と思われるかもしれません。でも、同じ仕事でも、割り当てられるのと自分で選ぶのとでは、まったく別の時間になるんです。
僕自身が、その両方を経験してきました。
この記事でわかること
- 「誰がやる?」と押し付け合いになる仕事ほど、自分から選ぶと別物になる理由
- 引き受けさせられた仕事と、自分で選んだ仕事の決定的な違い(僕の実体験)
- 自分から選ぶときの、4つの判断基準
引き受け「させられた」研究授業
経験の浅い頃の話です。
異動したばかりの学校が、ちょうど大きな研究発表の年にあたっていました。何年も前からテーマを決めて、研究を積み重ねてきた学校です。その発表の授業を、来たばかりの僕がすることになりました。
自分で手を挙げたわけではありません。若手だから、という空気の中で、気がつけば決まっていました。
当時の僕は、毎日をなんとか乗り切るだけで精一杯の、自転車操業のような働き方をしていました。経験も浅く、その学校が積み重ねてきた研究のやり方を一から理解するところから始めなければならない。指導案を何度も書き直し、検討の時間を重ね、負担はどんどん大きくなっていきました。
そして迎えた本番。授業は形になりました。でも、授業後に参観された方から質問を受けたとき、僕はぼんやりとしか答えられませんでした。「これを伝えたかったんです」と、まっすぐ返せなかった。自分の中に、この授業をやりたい理由がなかったからだと、今は思います。
学びがゼロだったとは言いません。でも、かけた時間と負担に見合うものを受け取れたかというと、そうではありませんでした。
同じ頃、校務分掌でも似たことがありました。2年目に上がるとき、自分が望んだわけでもないのに、大きな分掌を持つことが会議で決まっていました。理由はわかりません。ただでさえ抱えているものが多い中で、ビジョンも前向きな気持ちも持てないまま担当することになり、良い仕事はできませんでした。活動の中で他の先生から指摘を受けても、きちんと返答ができない。押し付けられた仕事は、責任感も工夫も生まれにくく、ただ負担だけが積み上がっていく——そんな悪循環を、身をもって経験しました。
自分から「選んだ」研究授業
それから数年。働き方も考え方も見直してきた頃、また研究授業の話が持ち上がりました。
今度は外部の方も見に来る授業で、指導案の検討も打ち合わせも何度も必要になる、誰も進んでやりたがらないタイプのものです。
でも、テーマを聞いた瞬間、「これは僕がやりたい」と思いました。生き方や価値観に関わるテーマで、僕がこの数年学んできたことを、子どもたちに伝えられる。ぱっとイメージが浮かんだんです。
その日のうちに、管理職に「引き受けますよ」と伝えました。
そして引き受けるとき、先生方にこう呼びかけました。「アイデアやアドバイスがあれば、ぜひ教えてください。お話も聞かせてもらいたいので、そのときはお願いします」——自分から選んで、自分から扉を開けておく。それだけで、協力してもらいやすい空気は自分で作れます。
結果、この授業づくりは僕にとって大きな財産になりました。
大変は大変でした。指導案づくりのときだけは、普段しない残業もしました。でもその残業に、一人の先生が付き合ってくださったんです。授業の展開について対話する中で、その先生の考え方に触れ、自分の考えが深まっていく。「自分の中にある価値観を、人に伝えることの難しさ」まで含めて、学びの多い時間でした。授業当日も、手応えを持って終えることができました。
引き受け「させられた」ときには薄かった責任感も工夫も、自分で選んだ瞬間から自然に生まれていました。仕事の中身は同じ「研究授業」なのに、です。

さらに、大変な役を自分から引き受けたことで、他の業務への配慮をしてもらえたり、相談に乗ってもらえたりと、周りに助けられる場面も増えました。自分から選ぶことは、孤立ではなく、むしろ協力を引き寄せるのだと感じています。
何でも引き受けることとは違います
誤解のないように書いておくと、「何にでも手を挙げましょう」という話ではありません。すでに手一杯のときや、自分の強みが生きない仕事まで背負い込むのは、また別の問題です。
僕が選ぶとき、自分に確認していることが4つあります。
- 自分の強みが生きるか
- 前向きに挑戦できる内容か
- 自分の学びや成長につながりそうか
- 周りと良い関係のもとで進められそうか
この4つに照らして「やりたい」と思えるものを、割り当てられる前に選ぶ。逆に言えば、照らして違うと感じるものは、無理に取りにいきません。

ちなみに、この「自分で決める」ことの力は、心理学でも自己決定理論として知られています。自分で決めたという感覚が、意欲や充実感の土台になる——先生自身の働き方だけでなく、子どもたちと向き合うときにも通じる考え方だと思います。
選択肢がまだ残っている段階で動くからこそ、自分に一番合うものを選べます。余りものを最後に引き受けるのとは、スタート地点がまったく違うんです。
小さく選ぶことが、大きな決定を支える
自分で選ぶと、うまくいかなかったときも「何が悪かったんだろう」と自分に矢印が向きます。誰かに決められた仕事だと、「あの人が決めたから」と、どうしても矢印が外に向いてしまう。どちらが自分の成長につながるかは、明らかだと思います。
そして、これは仕事だけの話ではない気がしています。
人生は選ぶことの連続です。どこに住むか、誰と生きるか——大きな決定の場面で、急に「自分で選べる人」にはなれません。日頃から小さく選んでいる人が、大きな場面でも選べるのだと思います。小さな決定を繰り返す中で、リスクを考え、周りへの影響を考え、自分の軸で判断する経験が積み重なっていくからです。
「私がやります」と言い出しにくい空気は、たしかにあります。みんなで譲り合い、探り合う文化の中では、なおさらです。
だからこそ、最初は小さなことからでいいと思うんです。
次に「誰がやる?」という場面が来たら、その仕事を4つの基準に照らしてみる。もし「やりたいかもしれない」と思えたら——割り当てられる前に、自分から選んでみませんか?

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