この記事でわかること
- 「先に帰る申し訳なさ」の正体と、その手放し方
- 引け目を「役割」に変える、たった一つの意思表示
- 受け取った優しさを、次の誰かに回すという考え方
あの瞬間の、背中がちくっとする感じ
定時になって、席を立つ。でも職員室には、まだ先輩の先生方が残っている。——あの瞬間の、背中がちくっとする感じ。心当たりのある先生、多いのではないでしょうか。「一緒に残って手伝うのが当然なのに」「教えてもらってばかりなのに」。かつての僕も、まさにその申し訳なさの真ん中にいました。
以前の僕:申し訳なさを鞄と一緒に持ち帰っていた
当時の僕は、配慮を必要とする子どもたちのクラスを、経験豊富な先輩の先生と一緒に受け持っていました。僕はその分野の知識も経験もほとんどない、教わる側。先輩は次の日の教材や活動の準備を、放課後にコツコツ進めてくださる方でした。
普通なら、一緒に残って教わりながら準備をするところだと思います。でも僕には、保育園へのお迎えがあり、子育ての真っ最中でした。先に帰るたび、「申し訳ないな」という気持ちを鞄と一緒に持ち帰っていました。
転機:先輩の「大丈夫だよ」と、自分から伝えた一言
その気持ちを軽くしてくれたのは、先輩の一言でした。
「大丈夫だよ。今は子育てが忙しいんだから、帰っていいよ」

ただ、僕はその言葉に甘えるだけでは終わらせたくなかった。そこで自分から伝えたんです。「体を動かすことと、専門教科と、力仕事は、僕が頑張ります」と。
それからは、運動の時間は率先して前に立ち、子どもたちと一緒に体を動かす。力のいる作業は自分が前に出る。先輩が得意なことは先輩に、僕の強みが生きることは僕に。時間の長さで返せない分を、得意の形で返す——そう決めた日から、申し訳なさは少しずつ「役割」に変わっていきました。

今の僕:受け取った「大丈夫だよ」を、次に渡す番
その先輩とは数年間ご一緒し、おかげで今は一人で自信を持ってこの仕事に向き合えるようになりました。異動の日には、感謝を込めて少し奮発した贈り物をしたのを覚えています。
そして今、思うことがあります。あのとき僕が受け取ったのは、時間でも技術でもなく、「大丈夫だよ」という許しでした。人生の先輩が、余裕と知恵をもって後輩の「今は無理な時期」を引き受ける。引き受けられた側は、数年後、今度は自分が下の世代に「大丈夫だよ」と言う。
この優しさの恩送りが職員室に、社会に、循環していったら——先生たちの余白は、一人で作るものではなく、渡し合えるものになると思うんです。
おわりに:その一言、明日伝えてみませんか?
先に帰るあなたは、サボっているのではありません。返す形が、まだ言葉になっていないだけかもしれません。
「ここは僕が頑張ります」——その一言、明日伝えてみませんか?

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