引き受けすぎて苦しかった先生方、来年の形は自分で設計し直してみませんか?

引き受けすぎて苦しかった先生方、来年の形は自分で設計し直してみませんか

「今年の校務分掌ですが、お願いしたいものがいくつかありまして」

春休み。新年度の役割の打診を受けたとき、僕は全部引き受けました。初めて経験する主任級の役割がいくつも、専門外の教科、放課後の活動のメイン担当——。

不思議なもので、春休みの自分は、何でもできる気がしているんです。抱えているものがまだ何もないから、頭の中に余裕があって、どの仕事も「こなせそう」に見える。

でも、その年は僕にとって、余白がまったくない一年になりました。

この記事は、引き受けすぎて回らなくなった僕が、翌年に働き方を設計し直した話です。もし今、去年と同じ形のまま苦しさだけが続いているなら——1年は、やり直せます。

この記事でわかること

  • 春休みの「全部できそう」という感覚に、なぜ足をすくわれるのか
  • 引き受けすぎた年の失敗を、翌年の設計に変えた3つの行動
  • 年度の途中でも「やめます」と言っていい理由

春休みの自分は、何でもできる気がしている

打診を受けたとき、正直、嬉しさもありました。任せてもらえるということは、認めてもらえているということです。初めての役割には見通しが持てない不安もありましたが、興味のある分野もあり、「面白そうだな」という気持ちで引き受けました。

年度が始まった当初は、意欲に燃えていました。特に校内の研究のとりまとめ役では、「先生方のために良い環境を作りたい」と意気込んで、毎週の取り組みを提案したり、進め方を自分なりに練り込んだり。自分が中心となってやらなければ、という気持ちで、考える時間をたくさん使い、会議で提案しては修正が入り、また作り直す——そんな回し方をしていました。

でも、授業が本格的に始まると、状況は一変します。

初めての役割の業務はどれも想像より重く、専門外の教科は準備のアイデアを出すだけで時間がかかる。放課後の活動も、前の年はサブの立場で「その時間だけ参加すればいい」ものだったのが、メインになると練習の組み立てから運営まで、まったく別の仕事になりました。

そして、意気込んで始めた毎週の取り組みは——回らなくなり、ある日を境に、止まりました。

仕事が積み上がり余白のない一年の様子

「すみません、もうできません」と言った日

止まっていること自体より、苦しかったのはその後です。

年度当初、先生方の前で「これでやります」と意気込んで話した自分がいる。自分の意見を通して始めたことだからこそ、責任を持ってやり切らなければいけなかったのに、できていない。恥ずかしさと申し訳なさと悔しさが、頭の片隅にずっと残り続けました。

やめたとも続けるとも言わないまま抱えているその状態は、想像以上に消耗します。考えないようにしていても、脳のリソースをずっと食われているような、不快感が消えないんです。

だから、途中で、はっきり言いました。

「すみません。今年はもう手が回りません。できません」

正直に伝えて、謝りました。すると——スッキリしたんです。

そして後から気づいたのですが、これは自分のためだけではありませんでした。中途半端なままだと、周りの先生方にも「あれは続くのかな、どうなるのかな」と余計なことを考えさせてしまいます。無理なら無理と早めにはっきり伝えることは、自分への優しさであると同時に、周りへの思いやりでもあったんです。

その年は、必要性の低いものを削り、事務作業を効率化して、なんとか一年をしのぎ切りました。ただ、正直に言えば「乗り越えた」というより「しのいだ」一年でした。

ちなみに、もっと若い頃の僕は、この「しのぐ」ことすらできていませんでした。抱えきれない量の仕事を、去年と同じ形のまま、やり方も変えず、ただ時間が過ぎるのを待つように回していた。思考力は落ち、体調を崩し、自分の時間はなくなる——修正するという発想自体が、なかったんです。

翌年の春休み、僕がやった3つのこと

そして次の春休み。また、新年度の打診の時期が来ました。

このとき僕がやったことは、3つです。

1つ目:「大変でした」と率直に伝えました。

打診の場で、まず今年度が自分にとって非常に大変だったことを、そのまま言葉にしました。頑張れていないと思われるのが怖くて言いにくいことですが、伝えなければ、相手には見えません。

実際、管理職はそこから配慮を組み込んでくれました。一番重かった役割は別の先生が持つことになり、放課後の活動には経験のある先生と動ける先生が加わって、負担を分かち合える体制が示されました。伝えたことは、ちゃんと届いていました。

2つ目:その場で即決せず、持ち帰りました。

「考えさせてください」と一晩置きました。春休みの「できそうな気がする」感覚を、僕はもう信用していません。一日置いて冷静な頭で見ることにしたんです。

3つ目:一つひとつではなく、一年の全体を見て判断しました。

前年との違いを並べてみました。一番重い役割が外れている。放課後の活動は体制が変わる。前年にあった外部の研修もない。そして自分には一年分の経験があり、流れが見えている。——全体で見て、「これならやっていける」と判断して、引き受けました。

翌年の春休みにやった3つのこと

引き受けたあとは、自分のコントロールできる範囲を設計し直す

引き受けると決めたとき、同時に決めたことがあります。負担になりそうな仕事は、進め方そのものを自分で作り直す、ということです。

一人で背負う形を、みんなを巻き込む形に変えました。

研究のとりまとめは、前年の「自分が考えて提案する」やり方を捨てました。年度の最初から先生方に話を聞き、何をしたいかを一緒に出し合う形に変えたんです。取り組みの中身も、先生方と相談する中で出てきた案を採用して、ぐっと簡素な形に絞りました。自分が考える量が減り、先生方との関係も作りやすくなり、負担感は大きく変わりました。大きなことは、一人ではできない——前年の一番の学びを、そのまま形にしました。

仕事同士を重ねて、一度の時間で二つ進む形を作りました。

担当する係の仕事で必要になったものづくりを、授業の題材として重ねました。係の仕事が授業時間の中で進み、授業の題材づくりの負担も減り、子どもたちは自分たちで作ったという実感を持って取り組める。一つの時間が、二つにも三つにも働く形です。

外部の資源を借りました。

専門外の教科は、無料で使える外部の講座や講師派遣を探して、積極的に頼りました。実はこうした案内は、前年も回覧で回ってきていたはずなんです。でも、余裕がないと、目の前を通るチラシすら目に入らない。少し余白ができて初めて、使える資源が見えるようになりました。

春休みのうちに、種を仕込みました。

時間のある春休みに、授業のアイデアを思いつくまま紙に書き出しました。50個ほど。年度が始まってから毎回ゼロから考えるのではなく、貯金から引き出す形にしておく。これだけで、年度中の消耗がまるで違いました。

設計し直しの4つの工夫

完璧な一年は、ない

その一年で学んだことを、まとめるとこうなります。

うまくいかない年は、あります。春休みの見積もりは外れるし、意気込んで始めたことが回らなくなることもある。それは頑張りが足りないからではなく、やってみなければ分からなかっただけです。

大事なのは、そこからだと思うんです。

年度の途中なら、無理なものは無理と早めに伝えて、やめていい。それは投げ出すことではなく、自分と周りの両方を楽にする選択です。

そして年度の変わり目は、一年をまるごと設計し直せる節目です。大変だったと伝える。即決せずに持ち帰る。全体を見て判断する。引き受けたら、進め方を自分で作り直す——去年と同じ形で続けることは、義務ではありません。

今年、うまくいかなかったことはありませんか。

それはあなたの失敗の記録ではなく、来年の設計図の材料です。まずは一つだけでいい——今年うまくいかなかったことを、来年の形に変えてみませんか?

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