この記事でわかること
- お金の誤解は「自分のせい」ではなく、職場や育ちの空気から静かに刷り込まれるものだということ
- 派手な投資ではなく「やめない仕組み」が、教員の働き方と相性が良い理由
- 知識が、あなたの生活と人生を実際に守ってくれるということ
お金の話が「できない空気」の中にいた、かつての僕

先生方の職場で、お金の話をしたことがあるでしょうか。給料がいくらか、手当がどうなっているか、保険に何を払っているか。思い返してみると、そういう話をする場面は、ほとんどないのではないかと思います。
僕自身がそうでした。避けていた、というより、お金の話をしやすい空気が、どこにもなかったのです。身近な大人に教員が多く、「この仕事をしていれば、お金に困ることはない」という感覚が、家の中にも自然と流れていました。お金の話は、あまりしないもの。どこか気を使うもの。誰に教わったわけでもないのに、僕はいつの間にか、そう思うようになっていました。
象徴的だったのが、保険です。学校に来る保険の販売員さんとの話は、たいてい人目につかない個室で、長い時間をかけて行われていました。今思えば不思議な光景です。生活に関わる大きな契約の話ほど、ひっそりと行われる。そして僕は、その場で聞く話だけを頼りに、「お金が増えるなら」と、将来のためのつもりで貯蓄型保険を3つ契約していました。家でも「保険は大切」という言葉を聞いて育ちましたから、疑う理由がなかったのです。
給与明細は、ほとんど見たことがありませんでした。毎月、口座にお金が振り込まれていく。年に2回、少し多めに入る。手当が何か、税金や社会保険料がいくら引かれているか、考えたこともありません。貯金は少しずつ増えていましたが、それは節約していたからではなく、忙しすぎてお金を使う時間すらなかったからでした。その一方で、無駄遣いは山ほどしていました。毎日のような外食、コンビニで買う朝食、断らない飲み会。自分の価値観という軸がないまま、その日をやり過ごすために、お金をただ流していたのだと思います。
つまり、かつての僕のお金の「誤解」は、僕が特別に愚かだったから生まれたものではありません。お金の話ができない空気の中に、ただ静かに浸かっていた。同じ場所にいる先生は、今もたくさんいるのではないでしょうか。
転機は、世の中の動きが止まった、あの時期でした。時間ができて、スマホで好きな動画を眺めていたら、たまたまお金の入門動画に行き当たったのです。正直、衝撃でした。投資というものを、僕はどこかギャンブルのようなものだと思っていました。でもそこで語られていたのは、まったく別の世界の話でした。そこから僕は、自分で調べ、学び始めました。育児休業中は、その学びが一気に深まった時期です。もはや勉強という感覚ではなく、面白くて聞き続けていました。
一つ、正直に書いておきます。僕が3つ目の貯蓄型保険を契約したのは、実は学び始めるほんの少し前のことです。知り合いから紹介され、説明を聞いて、「増えるんだな」と思って判を押しました。学んだ後に仕組みを知り、3つとも解約しました。知る前と知った後で、同じ僕が、正反対の判断をしたわけです。知識とは、それほどのものなのだと思います。
その学びの中で手放していった誤解を、3つに整理して共有します。
誤解①「お金の話は俗っぽい」という誤解
一つ目の誤解は、「お金の話は俗っぽくて、教員にはふさわしくない」という感覚です。もっと正確に言えば、僕は「ふさわしくない」とはっきり考えたことすらなく、ただ、話さない空気に合わせていました。
でも、学んでみて気づいたのです。お金の知識は、自分の生活を守るだけでなく、教員としての自由度を上げてくれるものでした。
経済的に余裕があれば、不要な仕事を断ることができます。お金の不安がなければ、目の前の子どもたちに集中できます。家族との時間を優先する判断もしやすくなります。「お金の不安なく、教えたい授業ができる先生」。これは僕が目指したい姿の一つになりました。
考えてみれば、お金に振り回されている大人より、お金との付き合い方を整えている大人の方が、子どもたちにとっても良いお手本になるはずです。僕たちは「働くこと」を教えますが、「働いた対価をどう扱うか」も同じくらい大切なテーマです。僕はいま、家で子どもとお金の話をするようにしています。お金のことを、気を使って黙る話題ではなく、生きるために大切に考える話題として渡したい。自分が浸かっていた空気を、次の世代には引き継ぎたくないからです。
誤解②「お金は派手な手法で増やすもの」という誤解

二つ目の誤解は、「お金を増やすには、特別な手法や情報が必要だ」という思い込みでした。デイトレード、個別株の選定、暗号資産、不動産投資。そんな世界の話を見ては、「自分には無理だ」と感じていました。
でも、教員に本当に必要なのは、派手な手法ではなく「やめない仕組み」だと、今は思っています。
教員の給与はある程度予測できます。派手さはありませんが、安定した収入が長く続きます。これは、毎月決まった金額を淡々と積み立てていく長期投資と、とても相性が良い特徴です。僕自身は、世界中に幅広く分散されたインデックスファンドを、毎月同じ金額だけ自動で積み立てる形にしています。一度設定すれば、あとは基本的に何もしません。相場が下がっても上がっても、淡々と続けるだけです。
この方法の一番の恩恵は、実はお金そのものではありません。投資について考え続けなくていい、ということです。判断を毎日しなくていい。相場に感情を揺さぶられなくていい。その分の頭のリソースを、本業や家族、自分の学びに使えます。お金の仕組みを整えることは、頭と心の余白を守ることでもあったのです。
判断を減らすこと、感情に流されない設計にすること。これは、実は授業づくりと同じ思考法です。よく考えれば、先生が一番得意な領域かもしれません。
▶ もっと詳しく(各論記事へ)
知らないことは、狙われること
3つ目の誤解の前に、学びの中で気づいた、少し怖い話をさせてください。
教員は、守られた仕事です。収入は安定していて、肩書は信頼され、万が一のときの保障も手厚い。だから、お金のことを知らなくても、生きてはいけます。でも、その「守られて、信頼されている」ということ自体が、狙われる理由にもなるのです。
たとえば、職場にかかってくる投資用マンションの営業電話。あれは、教員がローンを組みやすい、つまりお金を借りやすい立場だと、業者が知っているからかかってきます。「節税になりますよ」「家賃収入が得られますよ」。甘い言葉が並びますが、知識があれば立ち止まれます。節税になるということは、そもそも利益が出にくいということの裏返しではないか。空室になれば収入は途切れるのではないか。知らなければ、疑問すら浮かびません。
学校まで来てくれる保険の販売員さんも、そうです。丁寧で、感じが良くて、わざわざ足を運んでくれる。その話だけを聞いて、貯蓄型保険に判を押す先生を、僕は今も見かけます。かつての僕と、まったく同じ姿です。でも仕組みを学ぶと、見え方が変わります。同じ掛け金でも、シンプルな掛け捨ての保険と積立投資に分けた方が、保障も資産形成も、ずっと効率が良い場合が多いのです。
知識が僕を実際に守ってくれた、小さな体験もあります。以前、引っ越しをしたとき、退去費用として思ったより高い請求が来ました。昔の僕なら、そういうものかと、その場で判を押していたと思います。でもそのときの僕は、設備には経年劣化という考え方があること、その場で署名しなくていいこと、公的なガイドラインや相談先があることを知っていました。持ち帰って調べ、落ち着いて交渉した結果、請求は半分近くまで下がりました。
もう一つ、よく聞く話です。若くして家を建てたご家族が、出産や育休と時期が重なり、想定外の出費も続いて、手元のお金が底近くまで減ってしまった。幸い大事には至りませんでしたが、もしそこに、車の故障のような突発的な出来事が一つ重なっていたら、と考えると、他人事とは思えませんでした。家を建てることが悪いのではありません。大きな決断のときに、手元に残しておく余裕——バッファー——まで含めて設計できるかどうか。それを分けるのは、知識です。
知らなくても、生きてはいけます。でも、知っていることは、確実にあなたを守ります。まず、「自分には知らないことがたくさんある」と知ること。そこがすべての始まりだと、僕は思っています。
▶ もっと詳しく(各論記事へ)
誤解③「経済的自由を達成してから人生を楽しむ」という誤解

三つ目は、お金の勉強を始めてからも、しばらく抱えていた誤解です。「お金を貯めて、経済的な自由を達成してから、本当にやりたいことを始めよう」という考え方でした。
でも、あるとき気づきました。それは、今日できることを、未来に先送りしているだけだということに。
朝、少し早く起きて散歩することは、お金をかけずに今日から始められます。家族との夕食を大切にすることも、今夜できます。読書も、運動も、自分の学びも、全部今日から始められるのです。
いまの僕は、お金についてこう考えています。お金があれば幸せになれる、わけではない。ただし、お金がなければ、不自由にはなる。お金はあくまで、人生の土台を作るための道具です。本当にやりたい生き方や時間の使い方を、自分で選べるようになるためのもの。それ以上でも、それ以下でもありません。
だから、貯める時期に頑張ることは大切です。でも、自分の力の100%をお金に振ってしまうのは、人生としてもったいない。僕は、割合を調整すればいいのだと思うようになりました。今は貯めることに力を注ぐ時期だから多めに。ある程度整ってきたら、少しずつ緩めて、その分を家族や自分のやりたいことへ。人生の段階に合わせて、配分を変えていけばいいのです。
僕自身、ある時期、収入が減ることを承知のうえで、働く時間そのものを減らす選択をしました。最初は不安もありました。でも、そうして手に入れた余白——家族との時間、自分の思考、学び、運動——は、減った収入をはるかに上回る価値がありました。「収入」ではなく「人生の総合満足度」で決める。この視点を持ててから、お金との付き合い方も、時間との付き合い方も、大きく変わりました。
車にたとえるなら、こういうことです。時速140キロで走っているとき、人は運転しかできません。景色は見えず、楽しめず、ただ前だけを見て走り続けるしかない。でも、余裕のあるスピードなら、景色を楽しみ、考えごとをして、ときには停まることもできます。経済的な余白は、人生のスピードを自分で選ぶための余白です。追い込まれた状態では、人は焦り、後悔するような判断をしてしまいます。余白があるから、落ち着いて、選べるのです。
まとめ:お金を学ぶことは、自分の人生を取り戻すこと

お金の話ができない空気の中にいた頃の僕は、毎月の給料の中身も知らず、漠然とした不安を抱えたまま、目の前の忙しさに飲み込まれていました。学ぶようになって変わったのは、資産の額そのものよりも、「自分の人生を自分で選んでいる」という感覚です。
「お金の話は俗っぽい」という空気から、一歩外に出てみる。「派手な手法が必要」という思い込みを手放し、やめない仕組みを淡々と続ける。「達成してから楽しむ」のではなく、今日できる豊かさを今日から始める。そして、知らないことがたくさんあると知り、知識で自分と家族を守る。
先生方に経済的な余白ができれば、それは精神的な余裕につながります。余裕のある先生は、穏やかに、明るく子どもたちと向き合えます。そんな先生が増えれば、学校そのものが良い場所になり、その姿を見た子どもたちの中から、「先生になりたい」と思う子が育つかもしれません。お金の学びは、自分のためから始まって、巡り巡って、ずっと遠くまで届いていくのだと思います。
将来のお金に漠然とした不安を感じている先生方、まずは小さな一歩から、お金について学んでみませんか?知らなくても生きていけます。でも、知ることで、人生は選べるものに変わっていきます。


コメント