はじめまして。「先生の人生を良くするヒント」を運営している、よしと申します。30代の現役教員で、2児の父です。
このブログは、忙しさに追われる先生方へ、お金・時間・働き方・余白のヒントを届けるために書いています。
でも、最初に正直にお伝えしておきたいことがあります。僕は、偉そうにヒントを語れるような立派な教員だったわけではありません。むしろ逆です。5年前の僕は、今このページを読んでくださっているあなたよりも、ずっと擦り減っていたかもしれません。
これは、何もかもを抱え込んで潰れかけた一人の教員が、「学び」をきっかけに自分の価値観と出会い、少しずつ人生を取り戻していった記録です。少し長い話になりますが、かつての僕と同じ場所にいる先生に、どうしても届けたい内容です。
すべてを抱えていた頃

5年前の僕は、朝5時に出勤し、帰宅は夜10時を過ぎる毎日でした。忙しい時期には日付が変わる夜中の12時を回り、それから帰る、ということも珍しくありませんでした。残業は、月160時間を超える月が、毎月のように続いていました。
朝のことを、今でもよく覚えています。当時の僕は、若手はこうあるべきだと教わっていました。朝早く出勤して、コーヒーを淹れ、お茶を用意し、職員室の紙ゴミや段ボールをまとめてゴミ出しをする。先輩の先生や管理職から「若手の教員とはそういうものだ」と言われ、それを終えてから、ようやく自分の校務分掌や教材研究に取りかかる。そういう毎日でした。
抱えていた仕事は、とても一人分とは思えない量でした。担任を持ち、生徒会を担当し、部活動の主任を務め、行事では放送も担当する。授業は週24時間。それに加えて校外でも、都道府県のテスト作成委員や部活動の運営役員などを引き受けていました。
それだけ仕事を抱えていながら、「若手は研究授業をやらなければならない」と言われ、外部に公開する研究授業まで引き受けました。過酷な状況の中で指導案を書き、何度も事前授業を重ねました。
今振り返れば、これは僕の頑張りが足りなかったという話ではありません。「若手とはこういうもの」「断ってはいけない」という、教員世界に染みついた文化に、ただ飲み込まれていたのだと思います。当時の僕は、それを疑うという発想すら持っていませんでした。
正しいと教わったことが、自分を苦しめた
苦しかったのは、仕事の量だけではありませんでした。「正しい」と教わってやっていたことが、実は自分の心をすり減らしていたのです。
生徒指導について、僕は先輩の先生から「厳しくすることで、生徒が悪いことをしないようにしていく」という学級経営を習いました。部活動でも同じです。生徒が何かミスをすれば、厳しく叱責し、罰を与える。そうすると確かに、生徒たちはそれ以降そのミスをしなくなります。でも、子どもたちが僕の顔色をうかがっているのが、はっきりと感じられました。
心の中では、ずっと苦しさを抱えていました。「これで本当にいいのだろうか」と。
罰を与える指導には、もう一つの苦しさがありました。一人の生徒に罰を与えると、同じ基準で、他の生徒が同じミスをしたときにも罰を与えなければならなくなります。公平であろうとするほど、自分で自分を縛っていく。それが自分には合わないと感じながらも、「良い学級経営や部活動運営のためには必要なことだ」と信じて、続けていました。
休みについても、忘れられない言葉があります。あるとき休暇を申請すると、管理職の先生から「休みは取ってもいい。でも、君が休んだ分だけ、他の人がその負担を背負うということは忘れてはならない」と言われました。遠回しに「なるべく休むな」ということだと、その時の僕は受け止めました。そして、「そういうものだ」と思っていました。
報われない理不尽もあった
一生懸命やっていれば順調にいくかというと、そうでもありませんでした。理不尽な出来事も、いくつもありました。
部活動を熱心に指導していたある日、試合会場で保護者に胸ぐらを掴まれ、「指導者をやめろ」と言われたことがあります。試合会場で、周りの目もある中での出来事でした。非常に苦しく、辛い記憶です。
一生懸命指導していた分、部活動ではある程度の成績を出すこともできました。でも、それは新たな苦しさを生みました。「勝って当たり前」という空気が周りに育っていったのです。ある日、試合に負けたとき、子どもたちや僕がいる目の前で、保護者会の会長から「今日の試合は勝って当たり前だった。お前たちや先生は、何が悪かったのか考えなければならない」と、全体の前で批判されました。こうしたことは、一度ではありませんでした。時には複数の保護者に囲まれ、不平不満を長時間にわたって一方的に言われることもありました。
僕自身がまだ若く、経験が足りなかったことも、うまくいかなかった原因の一つだと思います。それは正直に認めます。でも、それを差し引いても、当時の僕にとっては相当にきつい経験でした。
それでも、教員は人の人生を変えられる
ここまで苦しい話ばかりを書いてきましたが、誤解してほしくないことがあります。教員という仕事には、それを上回るほどの、大きなやりがいがあるということです。
一生懸命に向き合った分、保護者の方や子どもたちから感謝されることがあります。「先生のおかげで学力が上がりました」「こんなに上手になりました」と言ってくれる生徒がいます。中には、「先生のおかげで人生が明るく変わりました」と言ってくれた生徒もいました。
でも、感謝されること以上に大きなやりがいは、子どもたちと「喜びを共有できる」瞬間だと、僕は思います。
部活動で、みんなで毎日一緒に練習を積み重ね、勝利を勝ち取って、全員で喜び合うあの空間。受験に向けて毎日毎日一生懸命に勉強している子を精一杯サポートし、合格発表の日に「先生、合格しました。ありがとうございました」と駆け寄ってきてくれる、あの瞬間。そうした喜びを子どもたちと分かち合えることは、何にも代えがたい経験です。
時には、生徒とぶつかることもあります。厳しく言わなければならない場面もあります。あるとき、僕が大事なことだと信じて一生懸命伝えていたことに、その生徒は強く反発していました。でも、その子が卒業するとき、僕のところに来てこう言ってくれたのです。「先生、あの時は厳しくいろいろ言ってくれて、ありがとうございました。だから、こうやって成長することができました」と。その瞬間も、心から「やっていてよかった」と思いました。
人の人生をこれほど大きく変える可能性のある職業は、そう多くはないと思います。教員は、間違いなく、そういう仕事です。
だからこそ、僕は思うのです。これほど尊い仕事をしている先生たちが、苦しみのなかで擦り減っていくのは、あまりにもったいない。もっと先生たちが働きやすく、良い人生、充実した人生を送れるようになってほしい。このブログを書いている動機は、突き詰めればここにあります。
コロナがくれた、余白という転機

そんな僕の人生が動き出したきっかけは、自分の意志ではありませんでした。コロナ禍です。
感染拡大によって、学校の業務が強制的に減りました。部活動も止まり、行事も縮小され、あれほど僕を埋め尽くしていた仕事に、ぽっかりと隙間ができたのです。
その空いた時間が、転機になりました。
時間ができたことで、僕はいろいろなことを考えられるようになりました。そして、学んでみようと思い立ちました。YouTubeを見て、本を読み始めました。お金のこと、心理学のこと、ビジネス書、その他にもさまざまな分野の知識に手を伸ばしていきました。
今になって思うのは、変化のきっかけは「余白」だったということです。余白がなければ、考えることも、学ぶこともできなかった。あの強制的に与えられた空白の時間が、僕の人生を大きく動かす入口になったのです。
学びの先で、「自分の価値観」と出会った
学びを深める中で、僕は一番大切なことに気づきました。それは、知識そのものよりも、その知識を通して「自分はどうありたいのか」と向き合えたことです。
僕は、自分自身としっかり対話するようになりました。自分にとって大事なことは何か。自分は何をしたいのか。すぐに明確な答えが出たわけではありません。でも、対話を続けるうちに、これから自分がどう生きていきたいのかが、ぼんやりとですが見えてきました。
家族との時間を大切にしたい。誰かに貢献したい。学び、成長し続けたい。自分の人生を、自分で選べる自由がほしい。そうした自分の価値観の輪郭が、少しずつはっきりしてきたのです。
この「価値観が見えてきた」という変化が、その後のすべてを変えました。知識を得るだけでは、人は変わりません。その知識を使って、自分の軸を定めたとき、初めて行動が変わり始めるのだと、僕は身をもって知りました。
軸ができると、行動が変わった

自分のあり方、価値観がはっきりしてくると、同じ職場で働いていても、行動の仕方が大きく変わってきました。
これまでの僕は、お願いされたことを簡単に引き受けていました。でも、自分の現状と、自分が本当にやりたいことに照らして判断できるようになりました。周りもゆっくり見られるようになり、それが本当に必要な依頼なのか、それとも誰かが単に押し付けたいだけのものなのか、少しずつ見分けられるようになった。そして、時には断ることもできるようになりました。
象徴的だったのが、育児休業です。
男性教員が育休を取ることは、まだあまり一般的ではありません。僕自身も、取得すべきかどうか悩みました。でも、自分と向き合って考えた結果、やはり家族との時間を大切にしたいという価値観が自分の中で大きく、思い切って決断しました。
管理職の先生に相談したとき、こう言われました。「育児休業は権利だから、取ってもいい。ただし、あなたが抜ける分を誰かが負担するということは、頭に入れておいてね」と。
誰かに負担をかけることは、自分でも理解しているつもりでした。それでも、その言葉を受けたとき、心が悲しくなりました。おそらく、同じことを女性の職員が申し出たら、こうは言われなかったのではないか。そう感じたからです。これは特定の誰かを責めたい話ではありません。「制度上は権利」とされていることでも、いざ男性が使おうとすると見えない壁がある——そういう構造が、まだ学校現場には残っているのだと思います。
でも、このときの僕には、自分の価値観という軸がありました。だから、「すみません、でも取りたいので取らせてください」と、自分の思いを貫きました。
育休を取ったあとは、赤ちゃんとの、かけがえのない時間を過ごすことができました。あのとき、ちゃんと育休を取って本当に良かったと、心から思っています。
軸ができてから、日々の働き方も変わりました。忙しい時期はもちろんありますが、基本的には残業をしないようにしています。部活動も、時間をしっかり区切り、その中で質を上げられるよう考えて取り組むようになりました。飲み会も、基本的には参加しません。若手は参加すべきだという雰囲気や声かけはありますが、職場でしっかりコミュニケーションを取ること、家族との時間、金銭的な面、それらを総合的に見て、自分の価値観に照らして判断しています。
ここで、どうしても誤解されたくないことがあります。
僕は、子どもたちや先生方に対して、自分の持てる力を最大限に発揮して協力し、成長を後押ししたいという気持ちを、大前提として強く持っています。やりたいこと、改善した方が良いことは、積極的に話し、行動するよう心がけています。
ただ、必要のないこと、自分には合わないこと、意味がないと感じることについては、「やらない」と判断する。それだけのことです。手を抜いているのではありません。本当に大切なことに力を注ぐために、そうでないものを手放しているのです。
学校の「当たり前」を、疑ってみた
学びを通して身についた、もう一つの大きな変化があります。それは、学校の中の「当たり前」を、疑ってみられるようになったことです。
今の僕は、朝早く行ってコーヒーを淹れたり、職員室を整えたりすることはしていません。学級通信も、以前は「出さなければならないもの」だと思っていましたが、基本的には出していません。その代わりに、生徒たちとしっかりコミュニケーションを取る時間を持ったり、自分自身のコンディションを整えたり、もっと大切なことに時間を使えるようにしています。
自主学習ノート、いわゆる「自学」も、僕はやらないことにしました。
毎回、子どもたちが強制的に自学をしなければならないというのは、大きな負担だと感じていたからです。今の子どもたちは習い事も多く、塾に通っている子もほとんどです。そんな中で、一律に自学を課すことに、どれだけの意味があるのか。僕は疑問を持ちました。他のクラスではやっていましたが、僕はやらないことにしたのです。
もちろん、予想通りの反応もありました。一部の家庭からは、「うちの子が勉強しないので、自学を出してほしい」という声が上がってきました。
でも、その一方で、「自学をなくしてくれてありがとうございます」と言われることもありました。負担が大きかったということ、空いた時間で子どもが好きなことをできるようになって良かったということ。今の子どもたちも、本当に忙しいのです。子どもたちの余白を作るという意味でも、常識を疑ってやめてみて良かったと、僕は思っています。
部活動を「減らしたら」、子どもが伸びた

僕が学びの力を一番強く実感したのは、部活動でした。
コロナ以前の僕は、ほとんど毎日、長時間の部活動をしていました。土日も1日中ということがありましたし、両日とも練習試合や遠征ということもありました。今思えば、子どもたちも、保護者も、そして僕自身も、疲弊していたように思います。そして、それだけの時間をかけて、本当に最大限の効果が出ていたのかというと、正直、疑問が残ります。
コロナを機に学びを深め、さまざまなことを知ったことで、僕は部活動の運営を大きく変えました。
まず、毎日の練習をやめました。多くても週に数日です。そして、土日のどちらかは必ず休みにすることにしました。練習時間も、平日は基本2時間、休日は基本3時間で区切るようにしました。
ただ時間を減らしただけではありません。その限られた時間で、質の高い、効果的な練習ができるように組み立てることに力を注ぎました。練習内容はもちろん、心理学的な要素、生物学的な要素、子どもたちの疲労や健康状態など、さまざまな面を多角的に見て、「良い時間を、良い練習にしよう」と考え抜きました。
すると、子どもたちにも保護者にも余裕が生まれました。僕自身にも、子どもたちと軽く話せるような心の余裕ができ、それが信頼関係の構築にもつながっていったと感じています。
そんなある日、ある生徒と保護者から言われた言葉が、今でも強く心に残っています。
「先生のおかげで、こんなに上手になれたと思います。しかも、楽しくできています。ありがとうございます」
僕にとって、最高に嬉しい言葉でした。減らすことは、決してマイナスではなかった。むしろ、余白を作ったからこそ、質も、信頼も、子どもたちの成長も、すべてが良い方向に向かった。この言葉を聞いて、「間違っていなかったんだ」と、心から確信することができました。
お金と健康も、整えていった

価値観という軸ができてから、僕は生活全体を見直していきました。
お金のことには、それまでまったく無頓着でした。通帳の残高も気にせず、勧められるまま貯蓄型の保険を3つも契約し、独身なのに生命保険にまで入っていました。でも、学びを通してお金と向き合うようになり、一つずつ整えていきました。不要だった保険を解約すると、年間で60〜70万円ほどが浮きました。日中は窓口に行けず、夜にコンビニで手数料を払って引き出していた地方銀行から、ネット銀行に切り替えました。家計簿アプリで支出を可視化し、NISAで少額から積立投資を始めました。最初は本当に小さな額から。理解と経験が増えるにつれて、今の形になっています。
体も整えました。外食続きで20kg増えていた体重は、朝の散歩、運動、早寝早起き、食事への意識といった小さな習慣で、自然と落ちていきました。健康を取り戻すと、頭の働きまで明らかに変わったのを感じます。
そして、あれほど自分を苦しめていた「怒る指導」も、手放しました。余白ができて自分の指導を冷静に振り返れたことで、怒ることの効果は薄く、自分の価値観にも合っていないと気づけたからです。今は、怒ることをかなり減らし、笑顔で、丁寧に子どもと関わるようにしています。その方が、僕自身も楽しく、子どもたちも自分を出せるようになりました。
不思議なことに、現場にいる時間は短くなったのに、仕事の質はむしろ上がったと感じています。余白があるから、多面的に物事が見え、良い判断ができる。そして、あの過酷だった時期に必死で積み重ねたことも、決して無駄ではなかったと、今は思えるのです。
なぜ、僕はこのブログを書くのか
ここまで自分のことを書いてきましたが、最後に、なぜ僕がこうして発信しているのかを、お伝えさせてください。
僕は、教員という仕事には本当に大きなやりがいがあると思っています。でも同時に、過酷な状況が、あまりにも多くあることも知っています。いろいろなことを考える余裕すら持てない先生が、たくさんいます。生活が乱れていたり、健康を損なっていたり、経済的な不安を抱えていたり、この先の人生をどうしようかと悩んでいたり——かつての僕がそうだったように、苦しんでいる先生方が、きっと今もたくさんいるはずです。
そうした先生方の、経済的なこと、健康のこと、生き方のことの不安が少しでも解消され、余白ができたなら。先生方の人生の満足度が上がったなら。その生き生きとした先生方と触れ合う子どもたちにも、必ず良い影響があると、僕は信じています。
日本の教育については、さまざまな問題が取り上げられます。でも僕は、こう思うのです。先生方の人生が良くなることは、巡り巡って、子どもたちの人生が良くなることに、大きな影響を与えるのだと。
だからこそ、少しでもその力になれたらと思い、この発信活動を始めました。これが、僕がこのブログを書く、いちばんの理由です。
かつての僕と同じ場所にいる、あなたへ

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
僕がこのブログで伝えたいのは、特別な成功法則ではありません。「学び、自分の価値観を定め、行動を変えれば、人生は変えられる」という、僕自身が体験した、ただの事実です。
僕は、特別な才能があったわけではありません。むしろ、何もかもを抱え込んで潰れかけていた、ごく普通の教員でした。そんな僕でも、変わることができました。きっかけは、たまたまできた余白と、そこから始めた小さな学びです。
だから、もし今あなたが、かつての僕と同じように、終わらない仕事に追われ、自分の人生を見失いそうになっているのなら——どうか、覚えておいてほしいのです。あなたが弱いのではありません。ただ、立ち止まって学ぶための、ほんの少しの余白が、まだ見つかっていないだけかもしれません。
お金のこと、時間のこと、働き方のこと、そして余白のこと。かつての僕が知りたかったヒントを、このブログに少しずつ書いていきます。
あなたの毎日が、少しでも軽くなりますように。そして、あなたが先生という尊い仕事を、もっと自由に、もっと豊かに続けていけますように。心から、そう願っています。